2002年12月15日

26 懸賞ボツエッセイ

懸賞に応募してボツになった旅行エッセイです。

 20才の時です。たまたま友人のお兄さんがロンドン郊外の町に住んでいたので、彼を頼ってヨーロッパに行くことにしました。とりあえず彼の家でひと月ほど世話になって、その後ヨーロッパの国々を回り、3ヵ月ぐらいでのんびりとヨーロッパを楽しもうと思っていました。
 ところが、わずか3日で彼の家を出ることになってしまったんです。性格が合わなかったんでしょうね。予想外の展開に僕もいろいろと考えたんですが、結局彼の家を出て、ひとりロンドンに向いました。
 ロンドンに向う汽車の中、もちろん不安な気持ちで一杯だったんですが、それ以上にかつて経験したことのないほどのワクワクした感情の高まりを感じました。なんか自分がすごくかっこよく見えましたね。今振り返っても、あれほどワクワクしたことはなかったです。
これからいったいどんな展開が待ち受けているんだろう。僕のヨーロッパ一人旅のはじまりです。

ロンドンに着くと、まず宿探しです。高校時代にもう少し真剣に英語の勉強をしておけばよかったんですが、今さら言ってもしかたがありません。当って砕けろ、カタコト英語でなんとか乗りきりましょうか。

駅の正面に立ち街を見渡すと、大きなiのマークとインフォメーションの文字が目につきました。インフォメーションというぐらいだから、安い宿も紹介してくれるだろうと思い、ニコニコしながらその事務所に向いました。「安い宿を教えてくれますか?」というと、窓口の女性は愛想よく微笑みながらいろんなホテルを教えてくれました。でも僕の答えはどれも「トゥーエキスペンシブ」。
窓口の女性はしかたなく、別の窓口に行くように教えてくれました。
教えられた窓口の女性もはじめは優しく微笑んでいたんですが、僕が「トゥーエキスペンシブ」を連発するもんだから、だんだん渋い顔になり、最後には「あなたにはここしかありません!」といって、住所と電話番号、そして簡単な地図をメモ用紙に書いて渡してくれました。
一泊朝食付き1ポンド、当時の相場で約500円と格安です。そうそう、始めからここを教えてくれればよかったんですよ。
地下鉄で約15分、駅から10分、かなりのボロ宿を想像してたんですが、なかなか立派なところでした。石造りの3階建ての建物で、写真に撮ってもそれなりに様になる雰囲気はありましたね。
管理人のご夫婦も50歳前後の優しそうな感じの人でした。
1階の4人部屋が僕の部屋になりました。ちょうどその部屋にいた二人がその日チェックアウトしたばかりで、もう一人の先客がいるそうなんですが、しばらく留守にしているそうです。
というわけで、その広い部屋にいるのは僕一人でした。
この格安のホテルのおかげで今後の経済的な見通しを得た僕は、最初の難関を突破した誇らしい気持ちで、3階のバスルームでシャワーを浴びると、しばらくベッドに寝転んで余裕に浸っていました。

昼過ぎに駅の近くのファースフードの店で軽く昼食をとり、周辺をぶらぶらと散歩しました。
小さな公園の横に小さな八百屋さんがあり、りんごが一盛り10個ほど入って200円ぐらいで売ってました。日本で売ってるような手間暇かけて大切に育てられたようなりんごじゃなくて、すごく野性的な小さなりんごでしたが、なんか魅力的だったので一盛り買って帰りました。
ホテルに帰ってベッドに寝転びながらりんごをかじっていると、リュックを担いだ二十歳前後の男が二人、管理人に案内されて部屋に入って来ました。新しい同居人です。
「ハロー」と形ばかりの挨拶をした後、僕はアメリカの青春映画なんかだときっとそうするんだろうなぁと思いながら、二人に一つずつりんごを投げました。二人は片手で上手にりんごをキャッチすると、嬉しそうにニッコリしながら「サンクス」って。
なんか映画の1シーンに入り込んだような気分で、嬉しくてちょっとドキドキしました。

3人共、年も同じぐらいで、自然に自己紹介をしていました。
ヒゲを生やしたキリストのような彫の深い顔をしたスペイン人のジャビアは、英語の勉強のためにロンドンに来たそうです。オーストラリア人のバリーは、プロゴルファーのアーニーエルスに似てましたね。ヨーロッパ旅行の最終目的地がこのロンドンだそうです。
これから1ヵ月、3人の楽しいロンドン生活はこうして始まりました。

初日の夜は3人の出合いを祝って、ホテルの近くのパブに行きビールで乾杯をしました。
ピーナツをあてに一杯60円ぐらいのビールを2杯ほど飲んだだけでしたが、なんだかすごく楽しかったですね。
ジャビアの英語力は僕と同じぐらいか、ほんの少し僕の方がましかなっていうところです。バリーはオーストラリア人なので英語はもちろんペラペラです。というわけで僕たちはバリーにいろんな英語を教えてもらいました。でもバリーが言うには、オーストラリアの英語はイギリスの英語やアメリカの英語と少し違っているそうです。街の中で通りすがりにチラッと会話の断片を聞くだけでもその違いが判るって言ってましたよ。
ある夜、ロンドンの繁華街ソーホーに3人で喜劇を見に行きました。天井桟敷でしたがそれなりの雰囲気も味わえ、なかなか楽しかったです。
劇場を出るなりジャビアが、「さっぱり解らん!」ってぼやくんです。そりゃそうですよね、僕も解りませんでした。
僕が「映画なら解るけど、喜劇はちょっと無理があるかなぁ」っていうと、ジャビアが「ホントに映画なら解る?じゃ、明日行こう」ということになって、次の日の夜は映画を見に行くことになりました。言い忘れましたが、ジャビアは昼間、英会話の学校に通っているので夜しか一緒に遊べないんです。
次の日の夜、タイトルは忘れましたがアメリカの探偵映画を観に行きました。映画館を出て僕が「面白かった!」っていうと、ジャビアが不思議そうに「どうして英語が解らないのにおもしろい?僕は全然面白くなかった」っていうんです。ジャビアはちょっと想像力に欠けるようですね。
3人でディスコに行ったこともありましたよ。でも、男3人では入場させてくれません。入口付近で女性の3人連れを待っていて、3人連れが来ると素早くその女性達にくっついて入場しました。ディスコの中で一人の日本人男性が必至になって踊っているのがちょっと恥ずかしかったですね。
そうそう、ディスコの帰りにケンタッキーのフライドチキンを買ったんですが、ジャビアが正しいフライドチキンの食べ方を教えてくれました。
フライドチキンの入った箱に塩を振りかけ、箱の蓋を閉めると両手で箱を持って手がだるくなるぐらい上下に何度も振るんです。
ただそれだけのことだったんですが、夜中に食べたあのフライドチキンは、今まで食べたどのフライドチキンよりも美味しかったですね。
いつの間にか僕たちは、自分達3人をチームと言うようになっていました。楽しい3人組というような意味だったんでしょう。
情報収集はほとんどバリーでした。ロンドン郊外で行われていた航空宇宙ショーやオートバイのヨーロッパ選手権など、バリーがどこからか情報を集めて来ては、3人で行きました。
ある日、ホテルの部屋で僕が折り紙の鶴を折ったら、ジャビアが負けじと折り紙で闘牛を折ってくれました。ところがバリーは折り紙が得意じゃなかったので、いきなり大声で歌い出したんです。近所迷惑になるのですぐに止めさせたんですが、ちょっと驚きましたね。

約1ヵ月が過ぎ、僕がロンドンからパリに発つ日が近づいて来た時、バリーが僕に言いました。
「僕はロンドンに来る前はパリに行ってたんだけど、パリは英語が全然通じなくてね、ホント、たいへんだったよ。おまえは英語があまりできないけど、フランス語はある程度できるんだろうね」
「全然ダメ」
「えっ、じゃドイツ語は?・・イタリア語は?・・えっ!全部ダメ?・・・信じられへん!ユーアークレージー!」
「ま、なんとかなるさ・・」

僕がパリに発つ前日の夜、バリーとジャビアのおごりで、近所にあるいつものパブで送別会をしてくれました。
僕たちのチームはこれから別れ別れになってしまうけど、またいつかきっと3人で会える日が来るさ、なんて話しをしながらその日はいつもよりたくさん飲みました。

パリに発つ日、ジャビアは英会話学校のテストがあったので、バリーが見送りに来てくれました。
別れ際に、バリーはりんごを一袋くれました。「これ、僕とジャビアから・・」
りんごで出会って、りんごで別れて、ってことなんでしょうね。

1年後、ジャビアとはスペインで一度会いました。ピクルスの瓶がいっぱい並んだスタンドへ連れて行ってくれました。
ちょうど仕事を辞めたばかりだったので、精一杯のもてなしだったんだと思います。
その後の手紙によると、スペインで一番の美人と結婚したとか言ってましたけど、その後引越してからは連絡がありません。

バリーはオーストラリアに帰って、公務員になったそうです。
今でも時々手紙やプレゼントを交換するんですが、郊外に広い土地を買って自然の中で暮らしているようです。

その時の教訓
1. これを書いてて、あの頃のことをいろいろ思い出して楽しくなりました。
2. いや、今も十分楽しいですよ。

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